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Posted by ミリタリーブログ  at 

2011年04月27日

1ヶ月経過

今日は4月27日。
そう、フィールドクローズから1ヶ月が経ちました。

この1ヶ月が長かったのか短かったのか。
それはまだわかりません。

誰もがふと無力感にとらわれるなか
僕は何かに憑かれたように仕事に打ち込み
家族と小旅行に行き部屋の模様替えをし
クルマを洗い コレクションを並べ替え
飲みに繰り出し 散歩に出かけ
読みかけだった本をまた読み始め

そんなふうに、ぼーっとすることを避けるように
そして軽い躁と鬱を繰り返していることを気取られないように
何かに没頭していたように思います。
普通とは言えないこの時制において、意地になって普通につとめる
・・・1ヶ月まったくサバイバルゲームをしなかったことを除けば。

この1ヶ月が長かったのか短かったのか。
それはまだわかりません。


埃っぽい風の中に感じた髪の匂いは、まだ鼻腔の奥に残っているようです。


たなびく黄色いハチマキの残像も、まぶたに染み込んでいます。

そして数々のシーンが、めちゃくちゃにカットバックすることは
もはや日常になっています。





















でも、思い出せないこともあります。



最後のゲーム。僕は何を叫んだのだろう。





ゲームから戻るひとりひとりのプレイヤーに鳴りやまない拍手。
あの一生に一度あるかないかの瞬間に、僕は何を思っていたのだろう。




碧く高い空に向かって残弾を撃ちまくったエンディング。
どんなテーマが頭の中で鳴っていたのだろう。

でもそれはどうでもいいことかもしれない。
ぼくたちはいきているかぎりはだれもが
だいほんのないふしぎなえいがのしゅじんこうなのだ。

而して場面転換は予告も無く訪れる。
ラッパの音が響いて、すべてが瞬間にその色を変える。


次期フィールド探しは続いています。
最も有力な候補地の、交渉のタイミングを待っています。

そして僕たちはまた、サバゲーのフィールドに戻ります。
5月5日、川越でお会い出来ますね。


ファントムのリーダーからお願いがありました。

このフラッグを持って行きますね。
それはペンギン村~SAS城山フィールドの名残りとしてではなく
新しい歩みの象徴として、だと考えているのです。

Field of Joy. また一緒に作りましょう。  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 21:44Comments(3)活動報告

2011年04月18日

ナウ&ゼン②



Then.
これは僕がサバイバルゲームと出会って1年ほどが過ぎたころ、'98年夏ごろの写真です。
左の人物は、僕にそのきっかけを与えてくれたひと。そう、ロッキーさんです。

当時の僕は、横浜にあるTV局でディレクター/プロデューサーを務めていました。
ディレクターがカメラを持ち、カメラの前に立ちコメントし、それを編集して
オンエアするという、今ではさほど珍しくないものの当時としては異端の方法論で
音楽とサブカルチャーを結びつけるような番組を作るべく奮闘していました。

当時のADさん(今では有名バンドのライブを撮るような一流のDです。)の紹介で
ロッキーさんに会ったのは’97年の夏ごろだったと思います。
当時「FENロッキー」というお店と、サバイバルゲームの森「ペンギン村」を運営していた
彼は、トイガン業界では有名人。ロケに際して東京マルイの広報部とアームズマガジン編集部を
紹介してくれました。
番組は大好評で、あまり間をおかずに人気のロックバンドを招いた第2部も作ったくらいです。

オンエア後もしばしばロッキーさんから電話がくるようになります。
お店に遊びに行くようになったり、お酒の席に招かれたり。
「カントク!」と呼ばれるのはこそばゆい気持ちでしたが・・・・。
もともと中学生のころからタミヤの1/35にハマっており
LSのプラモデルガンや東京マルイの「作るモデルガン」、マルシンのキットなどに親しみ
そこそこのマニアでもあり、既に電動ガンも数丁持っていた僕でした。


これは''92年ごろ、ロスのLAガンクラブで.45を片手の若きスミソン。

そんな僕がサバゲーにハマるのにはさほど時間はかかりませんでした。

正直、めんどくさい人もいるなあ、と思いました。かつてのサバゲーは、良くも悪しくも「濃い」
人が多かったように思います。
しかし、yo!務員さんやcoyoteさんのような、一生ものの先輩を得たのもペンギン村でした。

しかし、当時の運営は非常に「ゆるい」ものでした。

フラッグになるものが毎回違う。腕のマーカーはビニールテープだったりガムテープだったり。
エントリーもノートに線を引いて、毎回記入事項が違ったりしました。
計時に至ってはゼンマイ式のキッチンタイマー、つまり「だいたい」だったのです。
当時、今からは考えられないような神経質で完全主義者だった僕は、それに違和感を感じていました。
塩ビ板を丸く切って木にくくりつけるフラッグを作ったり、エントリーシートを作ったり
デジタルタイマーを買って来たり。


おなじみのフラッグ。この中には当時僕が切り抜いた塩ビ板そのものが入っているのです。

そのころはまだ、千葉にこれほどたくさんのフィールドはありませんでした。
アームズマガジンはもちろん、コンバットマガジンや成美堂ムックの取材も度々入り
参加人数が100人を超えることもしばしばでした。

つづく。


Now.

実は一昨日、僕とyo!務員さんは別々に旧城山フィールドを見に行っていました。
桜が美しく咲いていたのは救いでしたが、3/26-27、突如出現した「Field of dreams」は
その痕跡さえもありませんでした。

いや、僕たちは目をつぶるだけで、あの場所に行けるのです。

ゲーム中の各シーンの思い出とともに。











この日のフラッグゲッター@ハンドガン戦の勇士たちです。

つづく。  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 20:00Comments(10)活動報告

2011年04月15日

ナウ&ゼン①



やっと3/27の写真のプレビューと整理が終わりました。
こういう手間がかかることを楽しめるってことは、自分のグルーヴが戻って来たってこと。
ついでに昔の写真も何枚か引っ張り出しました。
たとえば


ペンギン村のころ・・・1997年ごろ・・・前世紀の写真です。

今後の更新では、Now & Thenというコンセプトで、少々昔の話もしてみたいと思います。
それは(主催者のひとりが言うのは変ですが)SAS相模原という
比類のない「場(フィールド)」がクローズ前になぜあれほど輝いたのか
僕やスタッフが何故いまのような考え方に至ったのか
そして、これからのサバイバルゲームとはどのようなものになるべきかを整理し
考えるヒントになるはずです。

おそらく、ここ15年ほどの僕自身の個人的な逡巡や邂逅のエピソードも入ってくることでしょう。
まだまだ人生の入門者ですが、このブログにお付き合い頂いている若い皆さんに
何らかの「種」をお配りできるよう、心掛けてゆこうと思っています。

閑話休題。まずは、3/27、あの奇跡めいた1日の振り返りを続けます。




提供して頂いた写真は、どれも青い空と白い雲が印象的でした。
そう言えば去年5月の体制変更から、日曜定例の雨天中止がほとんど無かったというのも小さな奇跡。



寝起きのcoyoteさん。SAS相模原においてはyo!務員さんとともに父親的な存在。



本部テーブルとともに残された、試射場。施工者のみなさんのお気遣いに感謝。



T軍曹と赤いモヒカンはペンギン村時代からの仲間だ。再会は最近のことだったけど
変わってなくて安心した。いいよ、測量しなくても・・・



こーたとは、ほぼ必ず別れてゲームしていた。慣れた2人が馴れてゲームしてはいけない。
フィールド再開まではしばらくタッグを組もうぜ、バディ。




しかし、すっかり素通しになってしまったものだなあ。まるで戦国の合戦場のようだ。



PIT団が用意してくれた「感謝」ののぼりには胸が熱くなった。



フラッグに立つたびに、なんだか目の前が霞んでくる。



おかしいなあ、サーマルレンズなのに曇って困るよ。




ああ、空がほんとうに青いなあ。

  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 20:00Comments(4)活動報告

2011年04月14日

おわりははじまり

たくさんの励ましや復活希望のコメント、ありがとうございます。
すべてに返信をすることができず、申し訳ありません。
DVDを3枚借りて、1週間に結局1枚も見ずに返す、という金ドブなことを
何週間も繰り返しています。(あ、イングロリアス・バスターズだけは見た。オススメです。)

仕事以外のいろんなことを、なんとなく先送りにしてしまっている人
・・・大丈夫、あなただけではありません。

でも、フィールドの復活については、ちゃんと進めていますのでご心配なく。


そして、TEAM PHANTOM主催・5月5日@デザートストーム川越でのイベントには
SASスタッフ&Friends総員参加の方向で調整中です。

そして、いまさらと言われようがいままいが(笑)3/27の報告はダラダラ続きます。


何にもなくなってしまったフィールドに向かう。
いや、「何にもない」は間違いだ。


まずは、SAS城山名店会。



すべてのお店は撮影出来ませんでしたが、全部で6店ほどの、かなりイイ感じのスワップミートでした。


PIT団出品の商品は、相模原PITBOYで販売中です。






みんなで持ち寄ったダンボールや





施工者の皆さんがわざわざレイアウトしておいてくれた冷蔵庫の山や重機を遮蔽物に




さあ、ラストダンスを始めよう。



  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 20:30Comments(1)活動報告

2011年04月14日

変銃図鑑



お弁当のおかずにもう一品どうぞ。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/51994182.html

本日20時ごろ更新の予定です。  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 12:00Comments(4)ちょっと笑えるww

2011年04月12日

とろけるハンバーグ



昨夜OA「1分間の深イイ話」旨イイSPで紹介された
「とろけるハンバーグ」byスミソン弟の販売サイトができました。

相模原 焼肉ホルモン福よし
http://www.e-fukuyoshi.jp/

夏だったか、鉄板で焼いて、パンに挟んでお配りしたアレです。

ただいま予約殺到中らしく、お届けまでしばらくお時間を頂くかもしれませんが・・・

待つ甲斐はあると兄が勝手に保証します。

サクっと買ってフィールドで焼いて・・・ってことがしばらくできないのは残念だけど
多くの方に食べていただけるのは嬉しい!と素直に言えるオイシサなのです。

  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 19:30Comments(4)オススメ

2011年04月12日

旨イイSAS

「昨日の深イイ見た?」
…とOLちゃんのブログのような書き出しですが

コアなSASユーザーなら知っている、あのハンバーグが紹介されました
紳介さんのコメントはアレだったんですが、伊集院さんの「(レバーが)折れんばかりに旨イイ」「50個買ってもいい」ってのは良かったですね。通販サイトもできました。


しかし、兄弟して肉を焼くのが好きだ。


フィールドではもっぱらyo!務員さんにお願いしています。ステーキ技師2種免許があれば試験場一発でとれる腕前!
クルマで眠っていたところを叩き起こされ肉を焼くの図。


大好評。心の旨イイレバーは折れんばかり?




スミソン作のチキンのミネストローネも好評で嬉しかった。
48cmの鍋があっという間にカラッポに。


iPadに真空管アンプつないで選曲にいそしむDJスミソン。


「スミさん、そろそろゲームに参加しましょうよ」と、こーたの背中が語っているようだ。


・・・・ゲーム始めたら、終わっちゃうじゃん。

うつ・最前線だった当時の僕は、そんなふうに思ってしまっていたのです。

でもね、逃げちゃダメだ。


フィールドの終わりにパンツァーフォーを叫ぶオヤジ。

さあ、ゲームを始めよう。  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 09:00Comments(5)活動報告

2011年04月11日

更新再開。

うつうつとした気分から抜け出して、そして気温が上がってくると
「なんかやんなきゃ」と身体の中の陽気なこびとソルジャーたちが動き出して
それはもう大忙しです。


芦ノ湖の軍艦に砲術の勉強に行ったり



有事における硫化水素に対する耐性を検証したり


武器庫の整理をして新たな戦場に備えたり


米軍補給廠へのルートを確認したり


最新の武装装甲車両が姿を見せたというので調査に向かったり

・・・誰がどう見ても遊んでるようにしか見えないし、実際、遊んでおります。

でもちゃんと、yo!務員さんと今後のことを話し合ったり、地権者様とお会いしたりしていますのでご心配なく!

前にも書きましたが、今に始まったことではない不調やスランプを震災や原発事故のせいにして落ち込んだり、「自粛」という名の「萎縮」を行うのは不謹慎だと思います。

そうだ、まだまだ3/27のゲームについて話さなければいけないことがいっぱいあります。
TEAM PHANTOMのmi-oさんや
よーすけさんからご提供を受けた写真の助けも借りつつ、明日に向かって振り返ります。

バックミラーを見るのはチラチラで行きます。なんたって、僕たちのクルマは猛スピードで走っているんですから。


長かった1日・3/27の朝からのことを、現在や過去や、そして未来のことも交えて、今夜あたりからチラチラと振り返ります。  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 09:00Comments(2)活動報告

2011年04月06日

Daytona△



本日発売のDaytona5月号がヤバい!



なんと、20ページに渡って、ハンドガンを特集しまくってます。



カスタムまで。エアガンを「モデルガン」と表記してるのはご愛嬌ですが
いや待てよ、最近のエアソフトガンはモデルガンと言ってもいい再現度だし。

ほかにも巻頭特集が、世界の軍用車を含む「オトナも楽しい働くクルマ」
だったり、所さんがフロリダから取り寄せたピックアップ・トラックの
カッコ良さが異常だったり、詳しくは言えないけど、僕のデザインした
何かが大フィーチャーされていたり・・・

お近くの書店/コンビニで是非チェックをオススメします。

さあ、Daytona読みながらお家に帰って、更新の準備だ。

東京の桜は、今日で満開となりました。


相模原はだいたい1週間くらいディレイします。
来週末あたり、フィールドの近くでスープでも作って
対岸の花を観ながらシミジミしようかな。

心配かけちゃってゴメンナサイ。

すっかり元気になったスミソンでした。  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 20:30Comments(2)オススメ

2011年04月05日

朝練が教えてくれたこと



ゲームをしない方からも「朝練、って響きが懐かしくていいですね」と言われます。

実はコンセプトだけは14年前、ロッキーさんのペンギン村の頃からありました。
定例ゲーム前にアップを兼ねて2時間くらいやろうか・・・というものでしたが
その頃の僕はTV番組のディレクターとして滅茶苦茶な時間軸で生活しており
元来早起きが苦手だったこともあり、言葉だけがアタマに引っかかっていました。

去年6月の末だったでしょうか。yo!務員さんやcoyoteさんとかねてから交流の深い
地元・相模原のカスタムガレージ「PITBOY」から
日曜の昼間にプレイ出来ない仲間たちと、早朝にゲームが出来ないか・・・
というお申し出がありました。



フィールドの新しい運営方法を考えていた時期でもあったので、すぐに実行。
2010年7月10日土曜日・初めての朝練開催です。

初めての朝練

朝練はすぐに定着しました。1回めはPITBOYスタッフとそこに集まるお客さんだけの
イベントだったのですが、早くも2回めからは「朝練って誰でも参加できるんですよね?」
というプレイヤーが集まり始めました。
早朝5時半から始まるゲームに30人以上が集まる、という盛況を迎えるのに時間はかかりませんでした。



そして、2010年5月から始まったフィールド改革は、朝練でブーストがかかりました。
kaichowさん、tenさん、T兄弟を中心としたムーブメントは、夜戦を再開させ、SAS相模原という名称を生み
素晴らしいプレイヤーたちを日曜定例に送り込み、PITBOYをガンショップ化させました(笑)。
クルマのカスタマイズとラジコンで鍛えた技術は、数々の名作カスタムガンを生み出します。



フィールド閉鎖の報に最も驚き、そして冷静だったのはPIT団だったと思います。
更地になったフィールドの写真を見て、段ボールなどで仮設の遮蔽物を作ろうと提案してくれたのは、tenさんでした。

「無ければ作ればいい。無いことで諦めてはいけない。」

そんなポジティブなメッセージが伝わってくるようでした。



3月27日、夜が明けると、そこには段ボールやフスマで作った遮蔽物がありました。
そして、のぼり旗で作られたバリケードには「感謝」の文字が躍っていました。
目頭が熱くなりました。



実は、僕は今回の朝練に、プレイヤーとしては参加出来ませんでした。
朝方まで痛飲してしまっただけではなく、朝の仲間たちにサヨナラを言うのが怖かったのです。



やっとのことでクルマとシュラフから抜け出し、一眼レフのシャッターを何回か切りました。

いつもの朝練のように8時で帰る仲間たち。すぐに日常、熱いシャワーを浴びたら
いつものように仕事です。
お別れもいつも通りのそっけないものでした。
「じゃあ、また。」



でも、後悔はしていません。
僕たちは朝練を再開しなければなりません。
サヨナラを言うには早い。

逆境やスランプなんて、初めてでも無ければ今に始まったものでも無いのです。

それを震災やフィールドの閉鎖のせいにするのは甘えなのだとやっと気付きました。


「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」

~マタイによる福音書より~  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 20:00Comments(4)活動報告

2011年04月04日

寒く短い夜

ずっと眠っていたような気がします。

目が覚めました。更新を再開します。

3月26日19時半。てんてこ舞いで必要資材や食材を揃えて開門。
yo!務員さんチームも仕事帰りから直行で駆けつけてくれました。

一夜限りの野営地設営が始まりました。
参加者の皆さんも続々と集まり始め、誰が何を指示するまでもなく
着々と準備が進んでゆきます。



一方その頃ピット団は、持ち寄ったのぼり旗や段ボール、ふすまやパレットなどで夜戦の準備です。
改めて、SASにおける彼ら定時制ゲーマーの存在を強く感じました。

驚いたのはフィールドの程よいところに冷蔵庫や廃材の山がいくつも築かれ
重機たちが程よい場所に停めてあったことです。
(なんと、施工業者の皆さんが、ここでサバイバルゲームを行えるように遮蔽物を
わざわざ作ってくれていたのです!)

真っ暗の中での作業だったことや、蓄光弾、サイリューム
レンタル用のトレーサーの到着が遅れてしまったこともあり(ごめんなさい!)
夜戦開始は10時を回ってしまいましたが、「初めてのフィールド」でのゲームは非常に盛り上がりました。

真夜中0時。誰かの「お昼ご飯はまだですか?」の言葉で突如宴の開幕。
nabeさんの巨大圧力鍋によるトン汁(おそらく60人前)やファントムのモツ鍋、
そしてスミソンの常夜鍋(風評をぶっ飛ばせ!茨城のホウレンソウ&チンゲン菜special)
・・・2キロ以上の豚肉が瞬く間に消費され、写真を撮る間も無し。















前日のような強風は無かったものの、気温は確実に氷点下。
焚き火の周り以外の全てに霜が降りるという寒さで、とても映画上映どころではありませんでした。

寒さを紛らわせるためと酔いも手伝って、小官もDJスミソンに変身。
真空管アンプにつないだiPadでベタな選曲を展開、踊ったり歌ったり・・・。

空を見上げるとそれはそれは素晴らしい星空でした

写真には写らない、美しい一夜でした。あ、リンダリンダも歌ったなあ。




・・・楽しい夜は、すぐに更けてゆきます。


火を守って、何時の間にか眠ってしまったんですね。

いよいよ何だか分からなくなって、寝袋にくるまって、クルマの中で眠りについたのは3時半頃だったでしょうか。




朝練に続く。
  


Posted by おすみ@SAS相模原  at 19:00Comments(4)活動報告

2011年04月02日

H.U.G.


3/27・ラストゲーム直後の1枚。(撮影:よーすけさん)

よし、やるぞ。

よーすけさんのフォトアルバムはこちらです。



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Posted by おすみ@SAS相模原  at 21:36Comments(4)

2011年04月02日

先週の今頃



先週のちょうど今頃、フィールドでみんなを待っていました。

ごめんなさい。
元気づけるはずが、気を落としていたのは僕でした。
さあ、もう一度マキに火をつけて、話したかったことを
少しずつお話しします。

本格的な更新を、明日ないし明後日に再開します。
(ぼんやりしてるなあ)

さっきラジオで聞いたのですが、「上を向いて歩こう」の作詞者
永六輔さんは、この詞を非常に落ち込んだ時に書いたそうです。
60年安保闘争での挫折、と仰っていました。

いまこの曲は毎日のように流れています。
挫折や逆境からこそ、折れそうな心からこそ、輝く希望は生まれるのかも知れません。

と、すれば、今はたいへんなチャンスかも知れません。



清志郎さんが生きていたら、何て言っただろう。




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Posted by おすみ@SAS相模原  at 20:16Comments(3)