2012年12月17日

ベレーを洗って。

ベレーを洗って。

ごぶさたしています。

ご招待いただいている12/23(日)と1/4(金)のゲーム参加に備えて、ベレー帽を洗いました。
このBANCROFT社のベレー、購入したのは僕が高校生の時ですから、もう30年近く前のことになります。
「東京」ファントムでこれを購入した頃、ベレー帽は幼稚園児と画家と変態しか被っていませんでしたから(笑)、被って人前に出るたびに「ユニークだね」と言われたものです。

「君はユニークだね」物心ついてから、大人たちにそう言われ続けてきました。
それは<風変わりで面白いけど主流ではないね>くらいのニュアンスで、いつも若干の照れと大きな疎外感をもって受け止めていたものです。
 仕事を始め、クリエイティブの現場に立ったときの「ユニークだね」は、少しネガティブな意味が薄まっていました。それは「ファニー」とだいたい同じ意味でした。やはり、まだ釈然とはしませんでした。
 外資系の会社で外国人上司との会話で出てくる「unique」は寧ろ必須条件でした。海外でのカンファレンスにおいては、「unique」であることを賞賛され、驚いたものです。
 IT系の仕事を始めると「ユニークユーザー」という言葉に戸惑いました。
<ユニーク≒ファニー>にとらわれていたからです。

<ユニーク>(大辞林より抜粋)
〜同じようなものがあまり見られないさま。めったにないさま。独特なさま。〜

<unique>(ウィズダム英和辞典より抜粋)
〜1 すばらしい,格別の,類いまれな 2 唯一の, 2つとない 3 特有な,固有の〜

<めったになく><独特な>存在が受け容れられない<出る杭は打たれる>社会、それは閉塞感に満ちた、生きづらい社会だと想います。
「ユニーク」が賞賛の言葉として使われ、「ユニークであること」がプライドになり、「ユニークな活動」が閉塞感に風穴を開け、拡げてゆく。
感性なき悲観主義が知的な楽観主義に代わってゆく。
うつ病社会打開のキーはこういう「言葉の使い方」にも在るのではないでしょうか?

ユニークであることを怖がらず、ユニークであることを認め、褒める。そういう当たり前のことを実践してゆきたい。

そんなことを考えながら、いい感じにヤレてきたベレーに形をつけたりするわけです。




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Posted by おすみ@SAS相模原  at 12:15 │Comments(6)日記のようなもの

この記事へのコメント
ご無沙汰です。
あのベレー帽にはそんな歴史があったのですね。
その他大勢と同じではつまらないと考えている私にはとても感銘を受ける記事ですね。
Posted by snj0371 at 2012年12月17日 14:12
snj0371さま
ありがとうございます。
ユニークであり続けるということは、他を拒絶して孤独に引きこもることとではないと信じています。それゆえ共感を得ることはなにより嬉しいです。
Posted by スミソン@SAS相模原スミソン@SAS相模原 at 2012年12月17日 19:10
御無沙汰しております!ヤナギダです。

じつはいま自身の仕事のことで、いろいろ迷っていましたが、
ここ数日にいろんな心境の変化がありました。

そこに、スミソン大尉のベレーのお話で、今まで消えかけてた情熱が
少しづつ燃えてきました・・・!

あやふやな状況下で気分が乗らず、ゲームに行けなくなり、スミソン大尉とも
お会いできる自分でなくなってました・・・が、あのベレー帽をみて、私も自分のベレーを出して眺めています。

そのうちお会いしたいので、その節はゼヒよろしくお願い致します!!
Posted by ヤナギダ at 2012年12月18日 02:56
ヤナギダさん
ご無沙汰しています。コメントありがとうございます。
自分の考えに自信が持てないとき、人に会うのは辛いですよね。
僕もそうです。ただ、人に会わないと何も始まらないのです。

僕たちのユニークな資質は、コミュニケーションという触媒を介して化学変化を起こし、そこで初めて動き始めるのだと思います。化学変化はすぐに現れるかもしれませんし、ずっと後に現れるものもあります。
コミュニケーションのために僕たちは言葉を使いますが、それは心と体から出てくるものです。心と体は裏と表のように不可分で、なおかつそれらは1つではなく2つであり続け、相互補完を行うようです。言葉は伝えようとしなければまとまりもしなければ残りもしません。つまり僕たちのユニークな資質は、人とコミュニケートしなければ動かないのです。
2つであり続ける心と体を結びつけるもの〜それは「気」だと思います。
ヤナギダさんの施術を受けると、気がすうっと通る思いがします。
実際に目の前が明るくなり、視野が開け、耳が通り、鼻腔が空気を感じます。感性が戻ってきます。感性が戻れば考えが浮かび、それを言葉にしたくなります。人に会いたくなります。

そろそろヤナギダさんの施術が必要になってきました。GIベッドはいつもクルマに積んであります。どこかのフィールドでお会いしましょう。
Posted by スミソン@SAS相模原スミソン@SAS相模原 at 2012年12月18日 07:14
ご無沙汰しております♪

今年は日曜日仕事が多く、サバゲも全然行けてませんよー。

嫁のお許しが出ない訳でも引退した訳でもないです(笑)

サバゲ参加出来ない分、妄想膨らませたりチマチマとイタズラしたりしてます。
厨ニ病こじらせないうちに実戦参加しないとなぁと思ってますが年内は怪しいかなぁ。

とは言え「良いお年を〜」とはまだ言わないでおきます!
Posted by こーた at 2012年12月18日 12:47
こーた様
お忙しそうでなによりです。
毎週サバゲしていたことを考えると、お互いに今年は遠ざかってしまいましたね。上記のように、僕も中二病がいよいよ膏肓に入っています。
来年は嬉しいことが控えてるじゃないですか。
嫁さんのお腹にbabyがいるうちのサバゲは、後々つつかれますのでご用心(経験談)。スケジュールが合えば12/23か1/4でご一緒しましょう。
Posted by スミソン@SAS相模原スミソン@SAS相模原 at 2012年12月18日 16:39
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