2012年02月18日
悲しいお知らせ
悲しいお知らせです。
読者のみなさんの中にもご存知の方が多いでしょう。
旧くからのゲーム仲間・小林公一さんが亡くなられたとの報を、先ほど受けました。
私が小林さんとお会いしたのは
’97年、TV取材でFENロッキーペンギン村を初めて訪れた頃のことです。
アタッカーもディフェンスも難なくこなせるプレイヤーで
1ゲームごとにテーマを決めてプレイする、そして楽しむ姿勢が印象的でした。
事情により同フィールドを撤収しなければならなくなったときには
当時まだ生分解でなかったBB弾の処理や、それが環境に与える影響を
真剣に考え、悩んでいらっしゃいました。
SAS城山フィールドに移ってからしばらくしてお会いしましたが
体調がすぐれず、なかなかゲームに参加できないことをおっしゃっていました。
それでも時々バディを組ませていただき、一緒にフラッグを獲ったこともあります。
私の作るアウトドア料理を、それは美味しそうに食べてくださいました。
そしてそんな時に見せてくださった。屈託のない笑顔を忘れることができません。
あまりにも早すぎる旅立ちでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
20日(月曜日)の告別式には、16日に亡くなった義父の告別式があることから
私は参加できません。
いま、古いCD-Rから写真を探すべくファイルのチェックをしています。
義父や、そして2週間前に亡くなった愛猫の思い出が蘇ってきて
なかなか作業が進んでいません。
読者のみなさんの中にもご存知の方が多いでしょう。
旧くからのゲーム仲間・小林公一さんが亡くなられたとの報を、先ほど受けました。
私が小林さんとお会いしたのは
’97年、TV取材でFENロッキーペンギン村を初めて訪れた頃のことです。
アタッカーもディフェンスも難なくこなせるプレイヤーで
1ゲームごとにテーマを決めてプレイする、そして楽しむ姿勢が印象的でした。
事情により同フィールドを撤収しなければならなくなったときには
当時まだ生分解でなかったBB弾の処理や、それが環境に与える影響を
真剣に考え、悩んでいらっしゃいました。
SAS城山フィールドに移ってからしばらくしてお会いしましたが
体調がすぐれず、なかなかゲームに参加できないことをおっしゃっていました。
それでも時々バディを組ませていただき、一緒にフラッグを獲ったこともあります。
私の作るアウトドア料理を、それは美味しそうに食べてくださいました。
そしてそんな時に見せてくださった。屈託のない笑顔を忘れることができません。
あまりにも早すぎる旅立ちでした。
心からご冥福をお祈りいたします。
20日(月曜日)の告別式には、16日に亡くなった義父の告別式があることから
私は参加できません。
いま、古いCD-Rから写真を探すべくファイルのチェックをしています。
義父や、そして2週間前に亡くなった愛猫の思い出が蘇ってきて
なかなか作業が進んでいません。
Posted by スミソン@SAS相模原
at 23:33
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