2013年06月22日

言葉について

くだらない投稿をさせていただきます。

本日午前4時過ぎ、F-03さんの素晴らしい記事に対してコメントを寄せさせていただいました。
フィールドレビューの体裁をとって、今は存在しないSAS相模原・城山フィールドを紹介されていました。
http://f03.militaryblog.jp/e446809.html

これは邪推で、彼の本意とは関係ないのですが、今は無いフィールドを評しながら
現在そこかしこにある問題を訴えているように読みました。
あくまでも、僕の読み方です。

コメント投稿は、本来1時台になされるものでしたが
サイト側の実に画一的なフィルタリングで投稿が出来なかったのです。
コメント後半に「邂逅(かいこう)」という難しめの語彙を使用しましたが
そこには本来「出○い」という単語がありました。
「○会い」が無いサバゲーって、人生ってなんでしょう?

以前にもガルパンについて書いたとき「女子○生」が引っかかりました。
「JK」と書き直したら通りました。そのほうがよっぽどおかしくないですか?

ヘンな世の中なのはわかります。インターネットをおかしなことに
利用している輩もいますし、それにわざと乗っかる人もいます。
サバゲーが誤解を受けやすいジャンルのホビーであることもわかります。
しかし、このフィルタリングは、はっきり言って幼稚すぎます。
少ない人数で運営されているご苦労も伺えます。
しかし、伝える者として、それを安直で簡単な方法で切り捨てるのはいかがでしょうか。

現在オファーを受けつつも、最初の記事執筆が遅れているニュースサイトがあります。
すでに5件以上の取材をしていますが、諸般の事情でまだ発表していません。
今回のこの一見無駄な時間は、あるいはシフトチェンジへの啓示かもしれません。

ミリブロには格別の愛着を抱いている僕ですし、ことを荒げるつもりもありませんが
こういう<言葉狩り>とも言える対応にはコミットできません。
言葉に対するリスペクトを全く感じません。事なかれ主義と効率の追求、と書けば
ご担当の方は腹をたてられるでしょう。
それとも、タダで発言の場を与えられているのだから受け容れるべきなんでしょうか。

大学生時代に出○い、生涯随一の恩師としてお慕いしていた青山学院大学名誉教授
清水英夫先生の訃報に触れ、少し神経が昂っているのかも知れません。
先生は言論界のご出身で、とくに言論の自由とマスコミの過剰報道の境界について
真摯に研究をされていました。
映倫やBPOの委員長という難しい職務もつとめられていました。
先生との○会いが無ければ、僕は放送業界を目指すことは無かったと思います。
その後、音楽番組を担当しながらも出演や発言の機会を与えられ、ビデオジャーナリストという
当時はまだ新しいジャンルの取材手法にも触れました。
高校生をメインターゲットとした番組も担当しました。
記号化され、マーケティングのキーともされながら、ある意味誤解されていた
当時の女子○生が、真摯にイベントや作品を作り上げる様も取材しました。

NGワードはコメント欄のみかと思いますが、どうでしょう。
みなさん、気持ち悪いとは思いませんか?

借金のカタに文字をひとつひとつ使えなくなる男を題材にした古典落語がありましたっけ。
笑い話ではないかもしれませんね・・・なんて暢気なことを僕は言えません。

安直な自主規制やレギュレーションは、確実に表現の、思考の幅を狭め、縛ります。








Posted by おすみ@SAS相模原  at 09:00